当たる占いの見つけ方

当たる占い

占いを利用する以上、それが当たる占い出会ってほしいという考えは当然のものです。占い師は多くいますし、占いも多く存在しますが、その中から当たる占いを見つけるのは難しい部分があります。当たる占い、適している占いを見つけるにはコツが存在します。
<手段を駆使して情報を集めよう>
情報収集は重要です。占い師を探すときに自分で占いのお店を巡っていてはキリがありません。雑誌やインターネットを使ったり、占い好きの人に聞いてみると良いでしょう。絶対ではなくても人気がある占いはよく当たるもの。難しい部分として、人気のある占いは予約が取りにくいといった難点があります。
<当たる占いである以外に重要なこと>
もちろん当たることは重要な条件ですが、それ以外にも重要なポイントがあります。そのひとつは占いの結果に対するアドバイスです。その人の良い部分と同時に悪い部分や将来の嫌な予測もしてしまうのが占いです。占った後のアドバイスはその後に重要な影響を与えます。もし占い結果が悪くてもアドバイスがあれば対策できますし、不安も抑えることができます。よい占いとアドバイスは切っても切れない関係なのです。
<占い師を変えるのはいいのか>
占いを変えて別のところにするのはよい行為なのでしょうか。これは変える理由によります。占いに不満があるなら積極的に変えて良いでしょう。占いの内容が自分の求めているものではない、褒めるばかりでなく良くない点も教えて欲しい、アドバイスが不十分だといった場合は問題ないでしょう。しかし、自分に都合のいい占い結果を求めて占いを変え続けるのはよくありません。占いのよい点は当たる占いなら未来を予測できることですが、それだけでなく将来のことや悩み事に対して考えていくためのスタート地点になることで、占い結果が未来を決定するわけではないのです。

家康と占星術

家康

徳川家康が天下取りの折、催行軍師の天海大僧正が作り上げた占星術を諸判断に用いていたとされています。
天海大僧正はその当時の「よく当たる占い師」ということではなく、天台宗の僧侶でありました。
しかし修行のために諸国を回るうちに、占星術と人の運命とのかかわりを知ることとなります。
既存の占星術に独自の解釈と方法を加え、確立させてゆきました。
よく当たる占いとして知られている四柱推命が生年月日から判断するのに対し、この展開の占星術は母体に姓を宿した受胎日から判断します。
それによって持って生まれた素質や遺伝からの影響、才能などを占い当たるように導きます。
持って生まれた悪いクセや性質を知らないままにいくら努力をしても、運を開くことは出来ないと考え、まず「よく当たる占いである展開の占星術」でそのクセや性質、素質を知ることが大切だと解いています。
徳川家300年の安泰は家康から3代までに築かれたとされていますが、この天海は家康、秀忠と家光に使え、健康管理にまで及びました。
天海の占星術は「悪いくせ」と「改善方法」までを解く占星術であり、悪い癖は生年月日と日支によって知ることができるとされています。
たとえば生まれた日の十二支が巳であれば、妬みや嫉妬を本質的に持ち合わせているが、感情的にならず冷静な判断に心がけるようにすれば運が開けるといった具合です。
信長も秀吉も成し得なかった天下の安泰を徳川家康が300年にわたりもたらしたということを考慮すると、一介の当たる占いとしての占星術にとどまらず「どのように生きるべきか」を占星術から学んだといわます。
これは今を生きる現代人にも言えることです。
よく当たる占い師による占星術によって自分の本質とウイークポイントを知り、改善することで努力が報われるようにすることは、開運に結びつきます。

幸福な結婚は前世占いで

幸福

幸福な結婚には、よく当たる占い師による前世占いで自分の前世を知ることも有効です。
結婚占いや恋愛占いに、前世占い当たると言われています。
前世のアイデンティティや経験は、今世に大きな影響を与えるものです。
表立っている性格や見た目は生まれ落ちた環境によって変化していますが、本質や過去の記憶がもたらす影響は変わらないのです。
例えばその時に愛し合っていても、過去世に憎しみあった経緯があれば、今世でもうまく行かなかったり別れてしまったりするものです。
また一目惚れで一生涯添い遂げることもあります。
これはよく当たる占い師から前世を見て貰うと、過去でも幸せな結婚をした二人であったり、良い関わりがあったという仲であったと云うことが見られます。
反対に「あんなに幸福になれると信じて結婚したのに別れてしまった」というケースも多いものです。
友達のような夫婦は前世で親友であったり兄弟であったりしますし、夫婦としては違和感を感じていても仕事のパートのーとしては最良というケースでは、前世で「同志であった」ということもあります。
結婚や恋愛はタイミングも関わってきますので、ふと感じた違和感をそのタイミングが打ち消してしまうことがあります。
「恋は盲目」といった現象です。
「本質的には恋愛に陥ることがない相手」であっても、錯覚を起こしてしまうものです。
最終的には憎しみ合って悲しい結末を迎えることとなり、そのようなときによく当たる占い師に見てもらうと「過去で因縁があった相手」ということが少なくありません。
一生涯幸せでいられる相手との結婚がしたいと考えているならば、当たる占い師から自分の前世と相手の過去生での関わりをリーディングしてもらうという方法も選択肢の一つです。
よく当たる占いという噂の占い師が、必ずしも自分にとって最良とは限りません。
その占い師との相性もあります。
「納得できない」といった気持ちが残るときには、セカンドオピニオン(第二の意見)も必要です。

タロットカードとトランプはどっちが先?

どっちが先

トランプで恋占いや今日の運勢などを占うことがあります。
トランプ占いは手軽で自分で出来る上に、案外当たる占いとしてしられています。
神秘的な小道具として用いられることから、様々な俗説も生まれました。
カードの4つのマーク(スート)が春夏秋冬を表している、カードの表す数字を全て足すしたものにジョーカーを1として加えると365の1年になる、カードの52枚は1年52週間から生まれているなどがその俗説の有名なものです。
エキストラジョーカーが閏年を表すなどと考えれば、実に信ぴょう性がある話として聞くことができます。
しかしこれは全て後に偶然の上に取り付けられたもので、意図していたものではありません。
日本では52枚のカードが常識となっていますが、世界的に見るとトランプの数は地域によってまちまちです。
またトランプはタロットカードから生まれたとする説もありました。
しかしトランプの方が先に生まれ、後からタロットが出現しています。
タロットカードは15世紀に製造されたイタリアのものが最古となっています。
しかしこれすらも遊びのためのものだったのか、当たる占いのツールとして使われていたのか、鑑賞のためのものであったのか、それすらもわかってはいません。
タロットがはっきりと「当たる占いのために用いられた」とわかる文献は、18世紀のものです。
18世紀にはフランスでタロットカードが大量に生産されるようになっていましたが、情勢不安も手伝って、当たる占い師の人気が高まっていました。
当たる占いを行うということで、初の職業占い師が生まれたのもこの時期です。
また逆位置の解釈なども出現し、タロット占い当たるというものを確立させてゆきました。
ここからもわかるように、タロットはトランプに比べ、比較的新しいものです。
しかし当たる占いのために改良なども施され、トランプ占いよりもより複雑な占いに対応できるようになっています。

占星術の伝播と更なる発展

発展

黄道12宮と、太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星という7つの惑星との関係からなる古代バビロニアの占星術は、当たる占いという評判から、ヨーロッパだけではなく、広くエジプトやインドにも広く伝わっていきました。
紀元前4世紀、古代バビロニアはアッシリアの侵略を受け滅亡してしまった。その後侵攻してきたペルシアによって、この地方は統一されることになります。しかし、ペルシアはエジプトやインドとも国境を接する広大な帝国で、侵略者によって取り入れられたバビロニアの文化は、ペルシアの力によって世界中に広まるきっかけを得ることになります。さらに、アレクサンドロスの東征を受けたことで、この地方はヨーロッパの一部に組み込まれ、ここで、ペルシアやエジプト、インドの文化が溶け込んだオリエントと、ギリシアを中心としたヨーロッパの文化が融合し誕生したヘレニズム文化において、当たる占いとされた占星術もさらなる発展を遂げることになります。特に大きかったのが、ギリシアの科学と哲学に接することができた点でした。
哲学とは、大雑把なくくり方をしてしまうと、人の生き方、道徳などを考えるものです。市民国家であったギリシアならではの学問ということができるかもしれないですが、ともかくもこの個人主義ともいえる思想に接することで、当たる占いとしての占星術は「国家的占星術」から「個人的占星術」へと変貌を遂げます。バビロニア時代の当たる占いとしての占星術は国家のために存在するもので、予言の内容も、国家の趨勢にかかわるものが基本でした。それが、市民一人ひとりの個人的な運勢を占うようになっていったのです。
こうして当たる占いとしての占星術は人間の生き方など個人の内面を覗く方向に変化していくのですが、逆に天文学は発達した科学の洗礼を受けて、宇宙の構造を探るなど、今まで以上に外に向かって開放された道を辿ることになったのです。ヘレニズム文化における最大の天文学者がそうであったように、ギリシア文化との融合は、これまで不可分の間柄だった占星術と天文学が、徐々にその袂を分かつきっかけになったのでした。

サブコンテンツ

このページの先頭へ